彼女は6人兄弟の末っ子で、母親を早くに亡くし、軍人であった父の手で育てられました。まだアメリカが「悲劇の時代」と言われた貧しい時代のことで、父の献身的な子育てにより、慎ましくも愛情あふれる少女時代を過ごしたといいます。
そしてアメリカ議会で「母の日」が制定された翌年の1909年に、彼女は父への感謝を込め、「父の日」制定の嘆願書を牧師協会に提出します。この働きかけを機に、1916年第28代ウイルソン大統領の時「父の日」は公式に認められたのです。
その後、日本でも、デパート主導で、母の日の翌月6月の第3日曜日を「父の日」とする習慣が広まりました。